雨の中カッパ着てチャリこぎながら考えたこと

雨の中カッパ着てチャリこぐのが好きだ。4年前、高校1年生のときから。高校はチャリ通学だった。家から学校まで片道30分。雨の日でも、親の心配性節に耳をふさぎ、カッパを着てチャリで爆走していた。

雨の中自転車をこぐ快感は何にも代えがたい。雨がカッパのフードを打ちつける。音が頭の周囲で反響して、耳に届く。頭の皮膚で、雨の量、粒の大きさ、気性を感じ取る。いつもすれ違うあの人も、追い越されるあの人も、今日はいない。がらがらの歩道を、自分だけが、顔を上げて颯爽と駆け抜けていく。その優越感は格別だった。

今日バイトに行くのに、大学生になって初めてそれをした(だからほぼ1年ぶり)あの時の通学路ではないし、電動自転車だから向かい風に闘志を燃やすことはもうないけれど、やっぱり楽しかった。

 

今日感じていたのは、圧倒的孤独、だった。世界に存在するのは、自然と自分だけ。自分は自然の中に一人放り込まれて、全身で自然を浴びている。そういう感覚の萌芽なるものは高校生の時も認識していたけれど、これほどまでにはっきりと、嗚呼孤独、という言葉が思考を支配したのは初めてだった。

最近、人間どこまでいっても孤独なんだな、と思う。いろんなストーリーを取り込んでいく中でそんな結論に達したんだろう。自分と全く同じ感性を持つ人はこの世に存在しない。どんなに似ている人でも、完全に分かり合えることなどありえない。分かり合えないなりに寄り添える関係性があったらと思うけれど、そんな奇跡に期待しても仕方がない、と思ってしまう。なんなら、自分の隣に一週間前の自分がいて、友達になれたら。自分の感じていること考えていることをすべて受けて止めて、今の自分とはちょっとだけ違った視点からなんらかのリアクションがもらえるのではないか。

世の中には「孤独を愛する」とか「孤高」とかいう言葉があるけれど、自分がそういう状態だとは思っていない。孤独を感じる瞬間は好きで、それを卑下する気持ちは一切ないけれども、自分の状態はあくまで「孤独」。「孤高」とかいうほど高尚なものではない。寂しい中に淋しさがあるだけの、ただの「孤独」。

大切な人が近くにいても、そんな人とこれから出会っても、この「孤独」の感触は忘れたくないな、と思った帰り道だった。